[ブツと思い出シリーズ]

死んだ後も名を残すなんて

本を読むにしろ漫画を読むにしろ
結局重要なのはそこにリアリティがあるかどうかであって
それは全編通して寸分違わずリアルであるとか
そういう事を言ってんじゃなくつまり一瞬でも一行でも一コマでも
「あらリアル」とリアルの世界に住む人間が思ったなら
もう十分リアルなのであってその奇跡を、健康的な奇跡を求めればこそ
私は本の壁を突き破り埃にまみれ背伸びして本棚の上の上を覗き込んでは
頁の頭に手垢をつけまくる日々。嘘。そんな読んでない。
そんならドキュメントでも読んでれば、と言われると遺憾なのだけども
(実生活で誰にもそんな事言われたこたー無いが)
私はリアルの真似事が見たい訳ではなくて
虚構の中にそっとリアルを練りこむ手管をのみ見たいのであって
結局欲しているのは「作品」ではなく「書き手」なのかもしれない。
気になるのはあらすじでなく真のテーマでなく生きる意義でなく
書き手の持っているリアル感、リアル考とでも言おうか、そういったものを覗き込み
なるほどこういうものは何となく分かるぞ。と思ったものを好きになる訳だから
結局のところそれは作品そのものよりはいくらか書き手自身に近いのだろう。
それ故にまた、つまらんと思う人間の書いたものはどうしても心のどこかで
拒んでしまうという傾向もあり、しかしそのやり方は自分の世界を
えいと狭めているのに他ならんのではないかしらん。
と不安になったりもするんだけどもわざわざ苦虫噛み潰して
世界を広げるのも精神衛生上宜しかなかろう。と思い
まあ無理はせんとこうという感じでのんべんだらりと本を読んでいる訳であるが
それでも元々その書き手情報みたいなものがあって、
ああこいつは馬鹿だ。いらん。いや馬鹿でもなさそうだ。読んでみる。
といった一辺倒な判断すら出来ない場合
つまり書き手の事を全く何も知らん上で読んでしまったりすると
まあ少なめに見積もって10回に7回は結局苦虫噛み潰し本を閉じる羽目に
なったりするのも詮無きこと。
無数の詮無き事は無数であるが故、また詮無き事でもあるので
摂理に従いクソして寝たらあっさり忘れている私ではあるけれども、
その肌の合わない事あまりにも顕著なる故か
或いは何かしら虫でも騒いだが故か、ともかく未だに覚えているのは
田口ランディという人間の書いた「コンセント」という小説であるのだが
(これに懲りてこの人間の本はこれより他一冊も読んだことがないので
この人間そのものが詮無きものか下らんものかは判断しかねるが)
この本が私の何処を刺激して数年後にもこんな場所で晒し上げられるに
至ったのかと問われるにこの作品はどうやら徹底的に
現実に起きたことをモチーフにして書かれたものであったらしいのである。
そこらへんはこの本のあとがきを読むと実に細かく書かれていた筈であるが
わざわざここに参照する程の本でもないしあとがきでもないが
興味があれば読んでみたら良いかもしれないが
立ち読みをオススメするのはせいぜいあとがきのみであるが
これは私の好みなのでこの本を好きな人は当然いてしかるべきであるし
逆にいないのだとしたらこっちが困っちゃうよいっちょ誰にも望まれてない本を
全国で買い集めて出版社の前で焚書でもするかいアハハ。てなもんである。
とにかく。現実に起きたことをモチーフ(モチーフなんてもんじゃない。
森田一義をタモリにしたという程度のものだ。
起こる事件もキーワードとなるビデオもあくどい程現実のうつしである)
にして書かれている以上それはリアルではない上にフィクションですらないという
悪のダブルスタンダード。ちょっと違うか。

私は虚構を愛する。良く出来たにせものを愛する。それと同時にまた
リアルというものをこよなく大切にしているつもりでもある。
たいせつにしている、と言って 特に私の掌でリアルを転がし
なにがしかの作品に埋め込もうという手を持っているのではないが、
一傍観者として あまり見苦しい振る舞いは目にしたくない。と思うのも
傲慢ながら一番素直な本音とするところである。

かと言って別に、何をどうしろという訳でもなく晒し上げ。

+*+
推敲した時に変なとこ消しちゃったよ。改訂。

2005-01-26 23:14:34 | Permalink | コメント(1) | Trackback(0) |

[ブツと思い出シリーズ]

さようならと後はまかせろ

B.A.D.(ビガー・アンド・デファー)〜MB’s・シングル・コレクション真心ブラザーズ, 真心ブラザーズ, 桜井秀俊KRE
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はいけぇーい、ジョンレノォ〜ン、貴方がこの世からさーり随分たちますーがー
まだまだ世界はぁー暴力にあふれぇー平和ではぁーありませーンッ!だ。糞ッ!だ。
このCDを聞いた時私は幾つだったかもう記憶も定かじゃござんせんが
死んだ人間に対するコンプレックスと見栄と憧憬と親しみを
いっしょくたにして煮こごった風のこの曲を聞き衝撃を受けたもんです。
普通こんな恥ずかしい感情を他人に悟られると想像しただけで
手はブルブルでなおかつ汗じっとり、ワトスン君ハッパをくれないか。
ワハハ稀代の名探偵も形無しだ。身を持ち崩すとはこの事よ。的な
オロオロぶりが普通?レギュラー?と思うのだけども
くるっとひとまとめにしてしかも思い切りスカイハァ〜イな絶叫をもとに
曲として売り出すなんてさすがヨーチです。
そりゃ克服するに越したことは無いのかもしれないけど
コンプレックスを抱いたまま生きてる人って凄い可愛い気がするけど
抱いてる本人からすればしんどいことこの上無くて
他人事だと思いやがってとか思うものかもしれないし
別にどっちでもいいんだけど無いコンプレックスを感じるのは無理な訳で

しかし我々の人生は短いようで地味に長い。
ミニマムなdayという単位で区切ると
恐ろしい程の1日を繰り返す羽目になるこの時間の中で
甲も殻も持たない我々は無数の心的脱皮を繰り返す必要に迫られるだろう。
そういう時にこのコンプレックス。
一つあるだけで脱皮もスムーズ、ワンタッチ。
一家に一つ心のささくれ。
痛いのもちょっとの我慢です!成長痛は必須なのだから!
貴方も今日から 素敵な自己研鑽生活を!
フリーダイヤルハトヤに決めた。
いや 何が言いたかったのかと言いますと(おっと茶が入った)
つらいことしんどいことの8割は成長痛ってんですかね。
そういうもんじゃないかなと 自分に言い聞かせ明日も頑張ろうっつー話です。
しかしつらいことしんどいことを避けてるっつー自覚も無く
避けてるって事もあるからねえ。どうかねえ。

ワールドワイドラ・ヴ!

この、裾からちらりと覗く袖とか、ちろっと見えてる立てた襟とか、
そういうのが最大限バランス良く見える為にはどれをっ・・・
なんて考えてる時は実はイマイチ決まらないという法則。

2004-12-23 19:15:20 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0) |

[ブツと思い出シリーズ]

ぶったぎる

ぼくは勉強ができない 新潮社
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「ぼくは勉強ができない」の中で、うんこをうんこと言う女の子に対し
男の子が「せめて排泄物とか言おうよ」と言ったら
その女の子が「あなたって、ゲロのことを吐寫物とか言うタイプでしょ」
と返すシーンがあって でも私は「ちがくねえー?」とずっと思っていたし
読んだ時も思ったし今こんなことほじくり返すということはつまり
今でも「ちげえよ」と思っている訳だ。
うんこは排泄物と言うけどゲロはゲロだと思う。
うんこを排泄物と言う男の子は決して
ゲロを吐寫物と言うタイプの人間とは限らんと思う。
うんことは言えないシーンでもゲロとは言える。
ここまでだけでもうんこ・ゲロカウンターガン回りな訳だが
やっぱりこれは、実際それらが顔を出す瞬間の
ポーズ、及び露出せられておる身体の部分が
大きく関係しているのではないかと推察することで
うんこ考・及びゲロ考をムリムリ伸ばしてみようという寸法だ。ハハン。
つってももうこれ以上はあんま伸びないけど。
結局うんこはうんこをひる瞬間、ケツ出してるから恥ずかしい。
ゲロは口から出るから別段恥ずかしくもない。そういう事じゃないか?結局。
そういえば「おしっこ」という響きにも、またうんことは異なった
なんとも赴き深い恥じらいを感じる訳であるが
(これはおそらく頭についてる「お」の所為だろう)
その趣の出所はまた違う機会に。
まあ、あとゲロはあまりにも抜きん出て間抜けだから
意外と憚られず口に出来るという気がする。
言葉(語感)自体が開き直っている感もある。
日常生活においてはうんこが普通でゲロが異常事態なのに。
この対比は何だろう。意味あんのか。いや明らかに無いな。

余談だがこの「ぼくは勉強ができない」は確か映画化されていて
それに興味があったのだけども非常に微妙な出来栄えだったのか
それとも興行的にあれだったのかよくわからんが
結構情報を探したんだけども見事に何も見つからず
結局私の興味もそれっきりになってしまった。
それっきりになっていたものを今うんことゲロの話につられ
思い出したけども、別にそれ以上どうするという事でもない。
ていうかどっちかというとこっちのが余程日記ネタとして
本題な気がするが今回の本題はあくまでもうんことゲロなんでよろしく。
助演女優賞はおしっこなんでよろしく。

2004-12-20 09:24:39 | Permalink | コメント(1) | Trackback(0) |





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